親鸞が比叡山と六角堂を往復した時に通った雲母坂
・比叡山より六角堂ま12キロ以上もの距離を毎夜、雲母坂という険しい山道を往復
・毎夜山を抜け出るのを不審に思ったが跡をつけ、必死の思いで六角堂に向かわれる親鸞の姿に、正全房は驚き涙したのでした。
日吉丸矢作橋出世の緒
8歳の時に奉公に出された日吉丸(後の豊臣秀吉)が、12歳の時に奉公先の陶器屋から逃げ出して矢作橋の上で寝ていたところ、付近を荒らしていた野武士の一団が通りかかり、その頭が日吉丸の頭を蹴った。日吉丸はこれを咎め、侘びていけと頭を睨みつけた。野武士の頭は海東郡蜂須賀村に住んでいた小六正勝(蜂須賀正勝)で、日吉丸の度胸の大きさを買って手下にしたという。