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猫龍隆
猫龍隆
ブログを書くきっかけとなった飼い猫のマロンさんは、2016年5月21日13時13分に永眠しました。12年間ではありましたが幸せをありがとう。
過去記事

2008年08月15日

「木一本 首一つ」

江戸時代、尾張藩(木曽)では禁木である檜・さわらあすなろねずここうやまきは自分の木であっても許可が無ければ切れなかった。「枝一本 腕一本」という言葉も」ありました。

自由にできる物には、柴山という薪炭緑肥採取を目的とし、当時の住民に欠くべからざる物があった。共有地(入会地)の山間部は、田一反歩につき何反歩と田んぼに付随する重要な肥料(青草肥)として活用した。

上記は木曽方面の話ですが、名古屋市天白区の施主さんにマンションを作らせて頂いたとき、その敷地(東山公園の南方面)の所有者になった原因が「入会権」だったのです。何事も一生懸命やら無いと子孫の幸せも無いですね。







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Posted by 猫龍隆 at 21:53Comments(0)TrackBack(0)その他

2008年08月15日

昭和5年の不況

マロンの婆ちゃん(瑞穂のやばいばあちゃん)は昭和5年生まれなんですが、前述の地誌を読んでいたら凄い時代なんですね。

婆ちゃんは海部郡の豊かな濃尾平野で生まれましたから食い物には不自由しなかったと思いますが、一方の南木曽方面では、アメリカに端を発した金融恐慌により生糸の暴落を招き農村恐慌時代に突入し、租税の滞納となり昭和7年には欧州にも及んだ金融恐慌により、学校の先生達の給料が半年も遅配になったそうです。

それ以前の大正時代までは、生糸の好景気が続き、借金をしてまで家屋を改造し規模の拡大をした人たちがかなりいたそうです。その後借金をした人たちは困り果て、その土地は他の町村の地主に流れていったそうです。


昭和5年
近辺の歴史については、天下の三菱様の記述がとても参考になります。サブプライムが何処まで行くか判りませんが、素人としては、借金も身分相応な住宅ローン・車程度だけで、当たり前の事をバカ正直にやるだけです。






今晩はこの本を睡眠学習します。  続きを読む

2008年08月15日

田立金鉱

マロンちゃんは南木曾町に行きましたが、素晴しいリゾートライフでした。





アルファー波で眠くてしょうがなかったですが、面白い地誌の本を見つけました。

田立の栗畑で、昭和5年~8年~13年ぐらいにかけ金鉱を掘っていた人が居たそうなんです。

栗畑の含有量は10万分の1.7~3ぐらいで、汚泥埋蔵金の10万分の1.25と比較しても中々良いです。

今回はペットシートのおかげでゲボもせずに快適なドライブでした。



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Posted by 猫龍隆 at 16:18Comments(0)TrackBack(0)マロン